2009年1月11日日曜日

自家用ジェット

アメリカのビッグ3の救済の審議に際して倒産しかねない会社の
経営者が軒並み自家用ジェットを使っていて問題になっていた。

大昔に労働組合役員をやったときに、会社はだれのものかと
随分考えた。法人というのは資本家と経営者と社員で成り立って
いるのだから、結局は誰が欠落しても成り立たないという分けの
分からない結論しかでなかった。

株式会社でいえば株主と経営者と従業員になるわけであるから、
配当と役員報酬・社内留保と賃金とが納得性のあるバランスで
なければ、法人の人格が破綻してゆく。

会社の格付け制度や格付けに応じて有利になる金融制度など、
カジノ資本主義に発した資本主義の陰謀が張り巡らされ、その
おかげで”格差”が拡大し、”人格破綻”した法人だらけになって
しまった。

法律を作ろう!配当と役員報酬・社内留保と労働分配率が一定
の範囲でなければいけないという法律を。

いくら自由を認めるといっても異常な人格破綻者にやりたい放題
させるのはマズイと思うけどな・・。

2009年1月8日木曜日

キブツ

もう今時の教科書には載っていないかもしれないが、私の頃には
ちゃんとあったイスラエルの共産農場のことである。

キブツで暮らしていた人と知り合い、どうなのか話をきいたが、
基本的に必要なものや欲しいものはほとんど何でも揃っているので
特にがんばってこれを買おうという意欲は感じなかったといっていた。
また、何をどうしなければということを考える必要がないので、言葉は
悪いがボケるともいっていた。

そういう暮らしぶりがいいか悪いかは個人の価値観だろう。

しかし、日本の地方にたくさんある限界集落を仮にキブツにすると
一定の生産・販売ができれば老いも若きもできることを出し合って
生活できる共同体ができそうな気がする。住む場所と仕事のない人
には十分な土地と住む場所ができ、その代わりにお年寄りの生活
を助ける。寒い地方、暑い地方、海沿いか山間かなどは移住する人
が選べばよい。ただし、いくら収益があがっても個人の財産にはならず、
その集団のために使われる。いわば、全額税金で完全社会保障という
意味だが、みなさんはどう思われるだろう。

2008年10月11日土曜日

みんながやってる

みんながやっているから・・・、正しい?正しくない?

民主主義は、最大多数の最大幸福という多数決の原則で
保たれるのだから、その意味では”みんな”というのは正しい。

しかし、小さな社会の多数決のひとつともいえる”集団の
いじめ”は正しいか?否である。

近年まで正しいと喧伝されてきたグローバルスタンダードは
どうなのか?

例えば金融。基本的には個人のお金を預かるヘッジファンド
や投資銀行などが為替にちょっかいを出して通貨危機を
生み出し、原油に手を出して価格高騰を生みだし社会の
バランスを崩す。不動産に手を出してバブルを生み、金融
商品に形を変えて金融不安まで招く。

これらは、失敗を招くまでは優れた経済活動と世界中の
リーダーといわれる人たちにモデルとしてもてはやされた。
つまり、それが正しいのだからみんなもやって当然という
マジックにかかってしまった。

株で考えれば儲ける金額と損した金額は同じなのだから、
儲けるということは”出し抜いて”儲けたともいえる。
出し抜き合戦のうまい人が”勝者”となり”下手な人が
”敗者”となる。つまり、誰にも気づかれないようにできるだけ
たくさんの人を出し抜くのが”最強の勝者”として尊敬される
という精神風土を作っている。だから、人間が大事にされる
精神風土にはならない。

今、金融恐慌に直面して世界各国は金融に資本投入や
金利下げで本当の恐慌を回避しようとしている。日本は
約10年前に資本投入して体力をつけたのでそう心配は
いらないようだが、数千億円をだして外国金融機関を買収
するなど、今日の危機を招いたモデルの延長線で行動して
いるように見える。

ひと時代前の製造業の経営者の話だが、「例えば観光とか
接客業とか儲かる商売があってもそれを手掛けることは
しない」という。いいなあと思う。財務なんかがメーカーの
中心になってはいけない。元々の社会に対する役割が
大事なのだ。

政府の緊急経済措置もちょっと角度を変えたものを検討
してはどうだろうか。金融機関にお金がでても銀行は
貸し渋りや貸しはがしをやめないだろう。だから、政府
金融機関(もうなくなったのかな?)が直接中小企業に
3年間の猶予で融資すると発表する。

福祉目的税を思い切って10%とることにし、医療と介護の
給付を分厚くする。特に要介護人口は急激に増えてゆく
のだから、市場としては拡大するのだし、必ず使われる
お金なので回ることになる。また、介護には必ず人手が
必要で雇用が発生するし、人手の重要性も再認識される。

労働分配率に反比例して減税する制度をつくって賃金を
引き上げる。正規雇用社員数もこの勘定にいれて正規
雇用を増やす。

不当利得制限法を作る。アメリカの経営者の収入は殆ど
不当利得としか考えられない。普通に生活すれば一生分
に相当する報酬を1年で得てしまうなど必要だろうか。
マドンナの昨年の収入が75億円だというが、そんなものが
必要だろうか。

どんな国が安心して心地よく暮らせるのかという国の形とは
例えば上記のように決めるものではなかろうか。
アメリカの軒先を借りて生活する日本という半ホームレスに
なっているような気がする。

2008年9月26日金曜日

目的と手段

どうも近頃すっきりしない。とくに衆議院解散と選挙がらみの
ニュースをみるにつけそう思う。

そもそも、日本はどういう国であるのが望ましいのか、議論
百出でよくわからない。

例えば、年寄りから子供に至るまで不安なく生きてゆくことが
保障され、であるからして隣人に始まる人間全体への思いやり
があふれ、頑張る人と能力のある人には成功の道が開けて
いる社会。なおかつ、四季に恵まれた美しい自然と多彩な食物
とさらに多彩な食文化を愛し、それらの全てを敬愛する美学が
社会に醸成されている社会。

ま、結構のんびりとしたイメージになってしまい、とても国際競争
に勝ち残る国ではなくなってしまうかもという心配もでてくる。

しかしですよ、そういうイメージがなければ目の前の商売も駆け
引きだけになってしまい、所詮、法律的に罰されない範囲で
だました方が勝ちということになってしまいます。

与党も野党も、中期的なイメージを国民に向かって喧伝して
いるけれど、究極の目標というにはほど遠い。もっと日本人の
アイデンティティーになるような究極の国の在り方、国民の
在り方を描いてほしい。

次に方法ですが、例えば上記のイメージを到達地点とすると、
生活を保障する制度、年金などは国が最後まで責任を持ちま
すということにしなければならない。だから、社会保険庁を
民営化するなんぞは全く逆の方向付けになる。民間企業は
いつでもつぶれる可能性があるのだから実は頼りにならない。
政治家も行政も責任逃れの仕組みをおためごかしに薦めて
いるにずぎない。

税金が高くなる?当たり前でしょ!富を平均化するのだから。
でも、ルイビトンやシャネルのバッグを数十個持ってるひとが
多くなって、食べて行けずに自殺するひともどんどん増える
社会を望ましい日本と考えるのでなければ、当たり前のことと
して受け入れますよ。少なくとも私はね。

そんな日本はいやだという人は海外に流出するかもしれません。
それでもいいじゃありませんか。逆に、コストはかかるけど
居心地のいい日本に暮らしたいという外国人も増えると思い
ますよ。どっち道、お金のある人にとってはバッグが一つか二つ
少なくなる程度のことでしかありません。むしろ、社会への貢献
度が大きいという誇りのほうがずっと満足度が高いでしょう。
つまり、儲けてしまっていることの裏にある後ろめたさを取り除く
いい手段にもなります。

日本の文化は”調和”です。神社だってお寺だってうまいこと
折り合って調和してきたじゃありませんか。世界中どこを見たって
こんな風に何気なく調和している社会はありません。理論的に
いえば調和なんていいかげん極まりないものですが、生き物は
理論ではない。

目的と方法をゴチャゴチャにしないで一度じっくり考えてみたら
どうかな~と思う今日この頃です。

2008年9月25日木曜日

リーマンブラザース買収

三菱UFJ、野村、三井住友などがリーマンブラザースなどの
株式取得に乗り出すことに決定したようだ。

一部生き残る側では銀行業務に絞り、投資からは撤退する
ことになる。

世界に日本の実力を見せつけた格好でまことに喜ばしい。
そうか?そうなのか?

ちょっと前までは勝ち組といわれてきたリーマンらは、理屈上
価値があると思われるペーパー商品を売り、ドルと証券という
紙の交換による収益を上げてきた。

ものを生産する企業に投資して育て、社会に貢献するのとは
違い、紙と交換した紙幣は勝ち組にだけ集まって社会には
貢献しない。

資本主義の鬼子のマネーゲームの行き着く先は所詮こんな
ところで、いいように見えても社会からしっぺ返しを受ける。

アメリカがリードしてきたマネーゲームが破綻したのに、その
破綻した事業を引き継ぐということがよく理解できない。少し
形を変えたマネーゲームに勝機を見ているのだろうか。

しかも、日本の一般サラリーマンからみれば気の遠くなるような
報酬をもらっている5000人だかの従業員を引き受けるという。
これが政府から資金投入を受けてリストラを声高に叫び、
徹底してきた金融機関がどう処理をするのだろう。

数年後、今の経営者たちがリタイアした頃に今回の投資が
つけとなってまたあの不良債権処理が舞い戻ってこないよう
切に期待する。

折角上げてもらってもいい頃になって不良債権処理があるので
上げられないなどということが5年後に起きないようにしてほしい。

日本の中小企業が資金繰りに困っているのを助けて育てる
という地道な方法のほうが、折角救済しても苦々しく思われる
投資より調和がとれていると思うのだがなあ・・。

2008年9月15日月曜日

教育シンジケート

大阪の知事が教育委員会をクソ野郎呼ばわりして
議論をよんでいる。全国共通の試験の結果を公表する
ことがいいか悪いかでの議論なのだが、それとは別に
クソという表現がけしからんという方が大きくなっている
ように見える。特に、教育委員会側はこれを大声で叫ん
でいる。
一言でいえば、近頃では常套手段というより常識となって
しまった論点のすり替え。どうもうさんくさい。

ロースクールにしてもそう。足りない弁護士を増やそうと
いう趣旨で海外では当たり前のロースクールを作った。
弁護士が増えることは悪くないが、大学と文部科学省の
チームは法科大学院新設に併せてロースクール以外の
受験ができないシステムを実現した。

増やすという目的にはロースクールを作ることは合致する
が、受験資格を設けることはむしろマイナスになる。
合格水準を引き上げるのであれば試験の合格基準を高く
すれば済むのだから、弁護士志望者を無理やりロースク
ールに行かせる仕組みとしか考えられない。つまり、高い
費用のロースクールに入る余裕はないが独学で司法試験
を受けようという有意の人間を排除するのである。
これが教育の根幹にかかわる人たちの腹の底。
利益を上げるための仕組みを関係者だけで作っている
シンジケートそのもの。

こんな腹黒さの上に立つ司法の質が高くなるはずはない。

大分県教育委員会の不正などは隠蔽されていたことの
一部がたまたまばれてしまっただけで、究極の目的は
何かを忘れてしまった教育シンジケートでは、これから
もっと色々なことがでてくると思う。

2008年9月10日水曜日

朝ズバに提案

今朝の朝ズバで天下り改革の成果がどうだったかという
フォローアップをまとめていた。結局、一時期騒ぐだけで
実態は変わっていないようだ。

自民党総裁選で喧しいが、総理大臣が変わると前の首相の
約束は私がしたものでないとか、約束の意味はこういう意味
だったとかで、リセットされてしまう。個人政治で政党政治では
ない。

そこで、時の内閣のマニフェストや法律、行政通知や指導を
すべてウォッチング項目にしたパネルをつくり、実際どう行わ
れているかを毎月チェックすることにしたらいいのでは。
つまり、喉元過ぎれば忘れる熱さを毎月政府にも国民にも
思い出させてやる。パブロフの条件反射と同じで、いずれ
パネルを見ただけで熱さに飛び上がることにもなる。

悪いことをしてほとぼりが冷めた数年後にはぬくぬくと生活
する官僚なんぞのリスト化もいい。リスト化すると宣言する
だけで抑止力になる。

どうでしょうね。