2008年9月26日金曜日

目的と手段

どうも近頃すっきりしない。とくに衆議院解散と選挙がらみの
ニュースをみるにつけそう思う。

そもそも、日本はどういう国であるのが望ましいのか、議論
百出でよくわからない。

例えば、年寄りから子供に至るまで不安なく生きてゆくことが
保障され、であるからして隣人に始まる人間全体への思いやり
があふれ、頑張る人と能力のある人には成功の道が開けて
いる社会。なおかつ、四季に恵まれた美しい自然と多彩な食物
とさらに多彩な食文化を愛し、それらの全てを敬愛する美学が
社会に醸成されている社会。

ま、結構のんびりとしたイメージになってしまい、とても国際競争
に勝ち残る国ではなくなってしまうかもという心配もでてくる。

しかしですよ、そういうイメージがなければ目の前の商売も駆け
引きだけになってしまい、所詮、法律的に罰されない範囲で
だました方が勝ちということになってしまいます。

与党も野党も、中期的なイメージを国民に向かって喧伝して
いるけれど、究極の目標というにはほど遠い。もっと日本人の
アイデンティティーになるような究極の国の在り方、国民の
在り方を描いてほしい。

次に方法ですが、例えば上記のイメージを到達地点とすると、
生活を保障する制度、年金などは国が最後まで責任を持ちま
すということにしなければならない。だから、社会保険庁を
民営化するなんぞは全く逆の方向付けになる。民間企業は
いつでもつぶれる可能性があるのだから実は頼りにならない。
政治家も行政も責任逃れの仕組みをおためごかしに薦めて
いるにずぎない。

税金が高くなる?当たり前でしょ!富を平均化するのだから。
でも、ルイビトンやシャネルのバッグを数十個持ってるひとが
多くなって、食べて行けずに自殺するひともどんどん増える
社会を望ましい日本と考えるのでなければ、当たり前のことと
して受け入れますよ。少なくとも私はね。

そんな日本はいやだという人は海外に流出するかもしれません。
それでもいいじゃありませんか。逆に、コストはかかるけど
居心地のいい日本に暮らしたいという外国人も増えると思い
ますよ。どっち道、お金のある人にとってはバッグが一つか二つ
少なくなる程度のことでしかありません。むしろ、社会への貢献
度が大きいという誇りのほうがずっと満足度が高いでしょう。
つまり、儲けてしまっていることの裏にある後ろめたさを取り除く
いい手段にもなります。

日本の文化は”調和”です。神社だってお寺だってうまいこと
折り合って調和してきたじゃありませんか。世界中どこを見たって
こんな風に何気なく調和している社会はありません。理論的に
いえば調和なんていいかげん極まりないものですが、生き物は
理論ではない。

目的と方法をゴチャゴチャにしないで一度じっくり考えてみたら
どうかな~と思う今日この頃です。

2008年9月25日木曜日

リーマンブラザース買収

三菱UFJ、野村、三井住友などがリーマンブラザースなどの
株式取得に乗り出すことに決定したようだ。

一部生き残る側では銀行業務に絞り、投資からは撤退する
ことになる。

世界に日本の実力を見せつけた格好でまことに喜ばしい。
そうか?そうなのか?

ちょっと前までは勝ち組といわれてきたリーマンらは、理屈上
価値があると思われるペーパー商品を売り、ドルと証券という
紙の交換による収益を上げてきた。

ものを生産する企業に投資して育て、社会に貢献するのとは
違い、紙と交換した紙幣は勝ち組にだけ集まって社会には
貢献しない。

資本主義の鬼子のマネーゲームの行き着く先は所詮こんな
ところで、いいように見えても社会からしっぺ返しを受ける。

アメリカがリードしてきたマネーゲームが破綻したのに、その
破綻した事業を引き継ぐということがよく理解できない。少し
形を変えたマネーゲームに勝機を見ているのだろうか。

しかも、日本の一般サラリーマンからみれば気の遠くなるような
報酬をもらっている5000人だかの従業員を引き受けるという。
これが政府から資金投入を受けてリストラを声高に叫び、
徹底してきた金融機関がどう処理をするのだろう。

数年後、今の経営者たちがリタイアした頃に今回の投資が
つけとなってまたあの不良債権処理が舞い戻ってこないよう
切に期待する。

折角上げてもらってもいい頃になって不良債権処理があるので
上げられないなどということが5年後に起きないようにしてほしい。

日本の中小企業が資金繰りに困っているのを助けて育てる
という地道な方法のほうが、折角救済しても苦々しく思われる
投資より調和がとれていると思うのだがなあ・・。

2008年9月15日月曜日

教育シンジケート

大阪の知事が教育委員会をクソ野郎呼ばわりして
議論をよんでいる。全国共通の試験の結果を公表する
ことがいいか悪いかでの議論なのだが、それとは別に
クソという表現がけしからんという方が大きくなっている
ように見える。特に、教育委員会側はこれを大声で叫ん
でいる。
一言でいえば、近頃では常套手段というより常識となって
しまった論点のすり替え。どうもうさんくさい。

ロースクールにしてもそう。足りない弁護士を増やそうと
いう趣旨で海外では当たり前のロースクールを作った。
弁護士が増えることは悪くないが、大学と文部科学省の
チームは法科大学院新設に併せてロースクール以外の
受験ができないシステムを実現した。

増やすという目的にはロースクールを作ることは合致する
が、受験資格を設けることはむしろマイナスになる。
合格水準を引き上げるのであれば試験の合格基準を高く
すれば済むのだから、弁護士志望者を無理やりロースク
ールに行かせる仕組みとしか考えられない。つまり、高い
費用のロースクールに入る余裕はないが独学で司法試験
を受けようという有意の人間を排除するのである。
これが教育の根幹にかかわる人たちの腹の底。
利益を上げるための仕組みを関係者だけで作っている
シンジケートそのもの。

こんな腹黒さの上に立つ司法の質が高くなるはずはない。

大分県教育委員会の不正などは隠蔽されていたことの
一部がたまたまばれてしまっただけで、究極の目的は
何かを忘れてしまった教育シンジケートでは、これから
もっと色々なことがでてくると思う。

2008年9月10日水曜日

朝ズバに提案

今朝の朝ズバで天下り改革の成果がどうだったかという
フォローアップをまとめていた。結局、一時期騒ぐだけで
実態は変わっていないようだ。

自民党総裁選で喧しいが、総理大臣が変わると前の首相の
約束は私がしたものでないとか、約束の意味はこういう意味
だったとかで、リセットされてしまう。個人政治で政党政治では
ない。

そこで、時の内閣のマニフェストや法律、行政通知や指導を
すべてウォッチング項目にしたパネルをつくり、実際どう行わ
れているかを毎月チェックすることにしたらいいのでは。
つまり、喉元過ぎれば忘れる熱さを毎月政府にも国民にも
思い出させてやる。パブロフの条件反射と同じで、いずれ
パネルを見ただけで熱さに飛び上がることにもなる。

悪いことをしてほとぼりが冷めた数年後にはぬくぬくと生活
する官僚なんぞのリスト化もいい。リスト化すると宣言する
だけで抑止力になる。

どうでしょうね。

2008年9月8日月曜日

きれいな切れ方

切れるとは?一体どういうことなんだろう。

最近の例では、福田首相が”私はあなたとは違うんです!”や、
○○親方の”親が子供を信じるのはあたりまえでしょ”や、
関取xxが、第三者機関の”検査結果は信じません”なども
ニュアンス的には切れている発言。

いきなり殺傷する行為に現れてしまうのはきれいもクソもないが、
言葉で切れるのにもいろいろあって、きれいな切れ方というのも
ある。

どうも、上の3つの例ではきれいさを感じない。
対比するのに三島由紀夫の自殺を考えてみる。
彼は国を憂い、その憂いが自分の命に代えても信念であることを
示すために死んだのだと理解している。つまり、自分のために
なした死ではない。

上の3つはどれも自分のために怒っているらしい。力士は、自分の
有利になるのであれば、ひょっとしたら嘘も辞さないだろうし、親方は
力士を守ることで自分の立場と利益を守っているのだろう。

福田さんは、政局を見たときに身を引くのがベストの政治判断と
考え、現に、客観情勢的にはこの機会以外に自民の選挙勝利は
ないらしいので、一見自己犠牲にみえる。だが、身を引くという
決断が正しいのだという自負があり、その判断をほめてくれること、
歴史的評価がほしいのではないかとも思える。だから、あまり美しい
と感じないのかもしれない。

最近では人間の持ちうる美しさというのがあまり表にでてこない。
これは、近頃の人間そのものが美しさを失ったのか、あるいは、
それを伝えるべきマスコミのレンズが間違っているのか・・。

その意味では、安部さんの”美しい日本”というのは可能性が
あったと思うんだけどなー・・。